なぜ「アート」で人は変わるのか?東京パラ開会式、ステージアドバイザー栗栖良依氏と語る「意識と行動を変える」ためのスイッチ

企業をはじめ、あらゆる組織でダイバーシティ&インクルージョンが叫ばれている昨今。果たしてそれは進んでいるのだろうか。

東京パラリンピック開閉会式のステージアドバイザーを務めた栗栖良依氏は、がんによって右足の機能を失い、“障がい者”としての立場でアートプロジェクトを通して社会のバリアを取り払う活動を行う組織「SLOW LABEL(スローレーベル)」を主宰する。そのスローレーベルに「スペシャリスト」として参画しているのが、インタラクティブメディアの開発やメディアアート表現の探求を行っている立命館大学映像学部准教授の望月茂徳氏だ。

2人をつなぐものは「アート」。2人の考えるアートとはいかなるものなのか。そして、これからめざすべき真のダイバーシティ&インクルージョンとは?

「オリンピックの舞台を作りたい」高校時代の夢を実現

栗栖 良依氏

栗栖 良依(くりす・よしえ)。アートで社会変革をめざす認定NPO法人「スローレーベル(SLOW LABEL)」代表。2010年に骨肉腫を発症し、右下肢機能全廃に。翌年スローレーベルを設立。16年リオパラリンピック閉会式・旗引継ぎ式、東京2020パラリンピック開閉会式ステージアドバイザーをつとめた。 TBS「ひるおび」木曜コメンテーター。

撮影協力:SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)

子どもの頃から、エンターテインメントと世界平和に関する仕事に携わることを夢見てきた栗栖良依氏。中学、高校では同級生たちと舞台作品を年3本ほど、6年間作り続けた。

高校1年の頃、1994年リレハンメル冬季オリンピックの開会式を見て、心を震わせた。

「私がやりたいのはこれだ」

だが、どこで何を勉強すれば願いが叶うのか分からない。美術大学に進学してアートマネジメントを専攻し、大学で学びきれないことは学外で学ぼうと、1998年の長野冬季オリンピックのボランティアに参加したり、イベント会社で働いたりと、思いつく限りのことにチャレンジしてきた。

イタリア留学を経てアートプロデューサーとして順調に滑り出した2010年、32歳のときに右ひざにがんの一種である悪性線維性組織球腫が見つかった。生死の淵をさまよい、杖がなくては外を歩けない身になった。それでも、2016年にはリオ・パラリンピック閉会式・旗引き継ぎ式、そして2021年、東京パラリンピック開閉会式でもステージアドバイザーを務め、高校時代に描いた夢を、みごとに実現させた。

メディアアーティストで、立命館大学映像学部准教授の望月茂徳氏は、2012年、ダンサーの砂連尾理(じゃれお・おさむ)氏の誘いを受けて、車椅子の車輪にセンサーを取り付け、車輪の回転スピードを音楽再生スピードに変換してDJのようなパフォーマンスができる「車椅子DJ」を開発した。これがきっかけで2015年、栗栖氏が主宰するスローレーベルの活動の1つである、障がいの有無を越えて人々がパフォーマンスを繰り広げる「SLOW MOVEMENT(スロームーブメント)」のため車椅子DJを再制作することになる。そこで栗栖氏と知り合った。

2021年には、障がいも国境も超える豪日合同のオンラインライブパフォーマンス 「羽衣 -HAGOROMO-」の配信を企画し、栗栖氏もスーパーバイザーという形で関わっている。

栗栖氏と望月氏、両者の活動のフィールドであり、両者をつないでいるものが「アート」。それは、見て楽しむいわゆるアート作品とは異なるものだ。

「変わりゆく社会の変化に合わせて生まれるもの」がクリエイティブ

立命館大学の望月茂徳氏

望月 茂徳(もちづき・しげのり)。1977年生まれ。立命館大学映像学部 映像学科准教授。筑波大学大学院システム情報工学研究科コンピュータサイエンス専攻単位取得。博士(工学)。独立行政法人情報処理推進機構より「天才プログラマー/スーパクリエイタ」認定。2011年から現職。

撮影協力:SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)

スローレーベルのアートプロジェクトは、例えば、サーカス技術の練習を通じて問題解決能力やコミュニケーション力などを育むプログラム「SLOW CIRCUS(スローサーカス)」や、前述した「スロームーブメント」など市民参加型のものばかりだ。

「私が目指すクリエーションはフラットなもの。誰かが示したものに他の人が右へ倣えで形にするヒエラルキー型ではなく、お題をポンって出して、ダンサー、アーティスト、ミュージシャン、いろんな分野の専門家や参加者が集まって、ああでもないこうでもないと言いながら形にする。課題があれば解決のために新たな専門家にインタビューしたり、その人をゲストに招いてトークイベントを開催したりしながら進めています」(栗栖氏)

完成形だけでなく、そこまでのプロセスに価値があると言う。望月氏も同意する。

「『こういうふうになるんだ』と予想できないものが生まれるので、その驚きがめちゃくちゃ楽しい。そこからまた次の挑戦への大きなヒントが出てくるので、そういう作り方は大事だと思います」(望月氏)

このようなプロジェクトの進め方は、栗栖氏が20代後半で留学したイタリアの大学院大学「ドムスアカデミー」での経験が大きく影響している。

「日本のものづくりは先に明確な設計図を描いて、それをいかに精巧に作り上げるかという逆算型。でも、イタリアではその方法は全く通用しない」(栗栖氏)

イタリアでの留学中に直面したのは「積み上げていって思いもよらないところで生まれる発明品がクリエイティブであって、あらかじめ描いたものを作るのはクリエイティブと認められない」ということ。日本で学んだ手法では太刀打ちできなかった。

時代がこれだけのスピードで変わっている中で、1年半前に描いたものなんてあっという間に古いものになってしまう。作りながら社会の変化に合わせて柔軟に変えていく必要がある。特に、私たちのプロジェクトは障がいのある方たちがたくさん関わっているので、ますます“読めないこと”が起こります。自分たちが想像できなかったところに行くことができる。大変だけどそれがワクワク楽しいからやっていける」(栗栖氏)

アートは「プロセスを通して意識を変える、行動を変える」

ビジネス界でも「アート思考」が注目されるなどアートが話題に上がる機会が増えている。アートの持つ効用、期待されるものはなんだろうか。

望月氏は、アートが根源的に持つ力の一つは「意識変容」だと指摘する。

「栗栖さんも言ったように、時代の変化が加速する中で、意識を変えていくという効用が期待されているのでしょう。アートというと作品というアウトプットが着目されがちですが、20世紀以降のアートはアウトプットを出すためのプロセスも含めて『アートプロジェクト』と呼ぶことが増えてきています。それは意識変容とセットで行動変容を促す効果がある。スローレーベルの活動もプロセスをめちゃくちゃ大事にしている。むしろそのアクティビティが肝となっています」(望月氏)

望月氏もスローサーカスに参加し、アクロバットやダンスにチャレンジした経験がある。身体に障がいのあるトレーナーが難なくこなせる技が、自分にはできなかったという。

「サーカススクールに行ってみたら変わりますよ、人生。芸術は頭で考えることも大事ですが、手を動かしながら考えることも大事。スローレーベルは考えることと手を動かすこと、両方往復することをアートプロジェクトとして行っています」(望月氏)

サーカスを取り入れたワークショップを活用することは、ビジネスへの波及効果も期待できると栗栖氏は話す。

「サーカスは体も脳も総合的に刺激を与えることができる。例えば高いところから飛び降りる技では、危険がないように多様な仲間たちとコミュニケーションを取る能力や、状況を瞬時に判断して適応するレジリエンスが鍛えられる。全員が同じことを同じようにする必要はなく、ダンスが得意な人、アクロバットが得意な人、運動は苦手だけどキャラが面白いからクラウン(道化師)になる人、それぞれ得意なことを出し合って、バラバラであればあるほど面白いものになるので誰も取り残されずに一緒に同じステージに上がれる。ダイバーシティ・マネジメントやチームビルディングに課題を感じている企業にも活用できるプログラムです」(栗栖氏)

実際、企業、自治体など団体単位で参加できるプログラムも用意している。しかし、「なぜサーカスなのか」という説明のところでつまずいてしまうことが多い。アメリカではレクリエーションとしてのサーカスが広く認知されているが、日本にはその土壌がない。いかにサーカスのよさを知ってもらうかが課題となっている。

障がい者が暮らしやすい社会は、誰にとっても暮らしやすい社会

栗栖 良依氏

撮影協力:SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)

2021年、東京パラリンピック開閉会式のステージアドバイザーという大役を果たした栗栖氏。国を挙げての一大イベントの遂行には準備期間から含めると8年間かかり、複雑な承認プロセス、数え切れない交渉ごとの連続に「ボロボロになった」と苦笑する。望月氏はそんな栗栖氏を「ピンチをエネルギーに変える方」と評する。

ピンチの時こそどう乗り越えようかというクリエイティビティが働く。一度、生きるか死ぬかの大病を経験して鍛えられた部分もありますし、子どもの頃から誰もやっていないことに挑戦してきて理解されない状況を何度も乗り越えて鍛えられたというところもあります。中学・高校はバスケ部だったこともあり、アスリート的なメンタリティもあるので、2021年に向けて食事や運動に気を配って体作りをしてきました。体と心は連動しているので、体を鍛えてメンタルを鍛えていくしかない。オリンピック・パラリンピックはそれくらいしないと乗り越えられないハードな現場です。トップギアでベストは尽くせたので、今は次のギアアップに向けて整えているところです」(栗栖氏)

2020年、2021年。それぞれの経験を経て、2022年、両者とも新たな展開に向けて走り出している。

「コロナの経験を生かして、オンラインとオフライン、それぞれの魅力をアップデートしていく必要を感じています」(望月氏)

望月氏は、大学の講義を全て録画して受講生に向けて配信するようにした。欠席した学生へのフォローアップだけでなく、出席した学生も見返せるし、字幕に変換されるので聴覚に困難を持っている学生にも便利だ。

障がいとは、一昔前は身体上の障がいを指していましたが、今は社会のバリアを指しています。私はメガネがなければ歩けない程度に視力が弱いですが、メガネが流通する社会ができているから“障がい”とされていない。メガネにはファッションとしての楽しみもあり、中には伊達メガネをかける人もいる。他の障がいについてもそれくらいの社会になればいいですね。私なりのアプローチとしては、やはりテクノロジーの力で変えていきたい。視覚と聴覚の代わりにセンサーやプログラミングを活用するなど、テクノロジーを活用して社会のオプションを増やしていきたい」(望月氏)

栗栖氏が主宰するスローレーベルでは、「アクセスコーディネーター」と「アカンパニスト(伴奏者)」というスペシャリストを育成している。アクセスコーディネーターは、障がいのある人たちが活動に参加するための不安やバリアを取り除く手助けをする役割。アカンパニストは、一人ひとりの心身の特徴を引き出し、演出家や障がいのない人との仲介に入るなど舞台上のバリアを共に乗り越える。今後はイベントの企画制作者にそのノウハウを共有していきながら、社会全体へのインストールを目指す。

「スローレーベルがアクセスコーディネーターやアカンパニストを育成して環境作りをする目的は、参加するみんなにとって心理的、身体的に安全な環境を作るため。障がいのある人が対等にコミュニケーションを取れる安全な環境は、巡り巡って障がいのない人にとっても安全な環境なんです。今、ダイバーシティ&インクルージョンと、ハラスメントの課題が別々に議論されていますが、私はこれらは繋がっている話だと思うんです。障がいがなくても生きづらさを感じている人は多い。ダイバーシティ&インクルージョンは決して他人事ではなく自分事。あなたがあなたらしく生きられる環境を作るという思考法なんです」(栗栖氏)

昭和に生まれ、平成生まれの世代を見守る栗栖氏の視線は、令和の社会を見つめる。

「令和の時代に生きる若い子たちが挫けないような、誰もが力を発揮することのできる世界を作っていきたいですね」(栗栖氏)


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